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フルーツの森・わたなべ

地域の人インタビュー

会津が雪に閉ざされ始める12月。
会津坂下町で極上の果物を生産する「フルーツの森・わたなべ」さんにお邪魔しました。

「フルーツの森・わたなべ」では、父:久幸さん、母:侑子さん、そして息子の直哉さんの3人で果物の栽培をしています。

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時期的にちょうど仕分けの作業中だったので、仕事場も見せてもらいながらお話を伺いました。

―――――今仕分けをされているリンゴの他に、どんな果物を作っていらっしゃるのでしょうか?

直哉さん:
リンゴの他は桃、柿、洋梨を作ってますね。作業場の脇にある冷蔵庫は洋梨とか桃が入ってるんですよ。
うちでは洋梨はラ・フランスとかシルバーベルとか、10種類のものを作っています。

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―――――たくさん種類があると、育てるのも大変そうですね。。いつ頃から果樹を育て始めたのですか?

久幸さん:
農業自体は僕の親父もその親もやってたんですけども、果物を取り上げたのは僕の世代ですね。
昔は米をメインで作ってたんですが、昭和46年に第一次減反が始まって、その時にリンゴを植えたんです。
その頃は母ちゃんと2人だったんだけど、東京で働いていた息子が帰ってきてからは3人でやってますね。

会津へのUターン就農

―――――東京にいた直哉さんが会津に戻って農業をしようと思ったのは、何がきっかけだったのでしょうか?

直哉さん:
俺も東京にいて悩んでたんだけど・・・。東京で食べてた果物より、うちから送られてくる果物のほうがやっぱりおいしいんですよ。
あれ、うちの果物って超うめーじゃん!、って思ったのが、農家をやりたいって思った一番のポイントかな。
親父が桃とか洋梨も含めた複合果樹園をやろうって動き出したので、じゃあ一緒にやろうぜってことで帰ってきたんですよ。

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―――――おいしい果物が作れるということは、会津は果物の栽培に向いているんでしょうか?

直哉さん:
会津はものすごくポテンシャル高いと思いますよ。
例えば福島市って桃が有名だけど、立地条件で言ったら福島より会津のほうがずっと果物に良いんです。盆地だし、夏の日照時間が100時間くらい長いから。
冬は雪ばっかり降ってるから暗いイメージがあるけど、果物にはいい環境なんです。本気で作ると、本当にうまいものができるよ。

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―――――一般的に会津は「米どころ」として有名だと思いますが、果物にも向いているんですね。

直哉さん:
会津はやっぱり米がめっちゃうまいから、会津で米を作ってたら盤石なんですよ。うちも元々米農家だったし、減反が始まった時もリンゴを少し植えたくらいで、本気の果樹園ではなかったし。
ただうちの親父は、いつか米価が下がって米の時代が終わるってことを先読みしてて、早めに果樹に移行しようっていう動きを取っていたんです。それでリンゴを増やして、桃とかも作ってみたら、すごい美味しいものが作れるじゃん!っていうことが分かってきて。

実は、俺はいろんな果物を食べてみたくて、他の果樹園さんからリンゴとか桃を注文するんですよ(笑)
全国いろんなところから、1個1000円するものだって頼む。だけど、全然うちのほうがうまいんです。
特に桃は冗談抜きでうちよりうまいのを食べたことないものね。そういうところからも、やっぱり会津は果物に合ってるんだなって思いますよ。

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―――――とは言え、周りがみんな米を作っている時代に果樹に移行していくのは不安ではなかったですか?

侑子さん:
最初はそれほど不安はなかったんですよ。孫と一緒に遊びながら手作業できるかなっていう感じの発想から取り入れたの。
ところが入ってみたらものすごく奥が深くて、技術を要するし天候に左右されるし、ほんとに大変ってことが分かって(笑)

久幸さん:
元々は、僕が先陣切って畑で働いて、うちの母ちゃんはロッキングチェアでのんびりレースを編んでるっていう将来を夢見てたんですけど、全然現実は違ったな(笑)
そのくらい母ちゃんにも働いてもらってるんですよ。本当ご苦労さまです。

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家族で協力して果物づくり

―――――元々の夢と同じにはならなかったですが、家族みんなで協力していけるのは素敵ですね。

直哉さん:
そうですね、役割的には今は親父が「職人」で、俺はまだまだ技術的なところを教わってる修業の身なんですけどね。まだまだ親父のアシスタントっていう感じ。ただ、販売や配達の部分は俺がメインでやっています。

久幸さん:
そう、そして箱詰めとか接客は母ちゃんがやると。
サイズ別に分けた果物からいいものを選んで詰めたりね。
配送中にぶつかって傷がついたりとかのクレームもやっぱりあるから、そういうのも母ちゃんに対応してもらってるんです。

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―――――それぞれでうまく役割分担が決まっているんですね。販売の部分は、直哉さんが帰ってきてから変わりましたか?

直哉さん:
包装とかパッケージの部分はかなり変わったかもしれませんね。
親父と母ちゃんがやってるころのお中元の品物は、俺から見ると「商品」ではなくて、ただ農産物を送ってるっていう感じの箱詰めだったんです。
俺は東京で小売りをずっとしてたから、その感性を取り入れて「もらった人が嬉しくなる」ようにアドバイスしていきました。贈られた時に「幸せ」をお届けしたいっていう気持ちもあったし。だから、そこはいい感じで化学反応が起きたと思うんですよ。
今までのスタイルでは「売る」ということに対して消極的というか、うまくなかったと思いますから。

久幸さん:
我々生産者の使命として、まず生産に重点をおいて本物志向で、という想いでやってきたからね。
ただ、一生懸命作ったものをどうみんなに売って、食べてもらうかっていうところも、今後は頑張っていく必要がある。

直哉さん:
ただ俺がすごく親父たちに感謝してるのは、会津のお客さんを大事にしていっぱい抱えててくれたことなんですよ。
昔は果樹農家でうまくいってる人って、ガンガン東京に高く売ってる人が多かったんだけど、震災後は風評被害がものすごくて、他県の人は福島県のものを買ってくれなくなっちゃったんです。
逆にうちは会津とか県内のお客様が多かったから、風評被害もそんなになくて。地産地消じゃないけど、そういう地元を大切にするスタンスって大事だなと思いました。
今は、インターネットよりは口コミみたいな感じでお客さんが増えていってますね。
例えば会津の人がお中元なんかでうちの商品を贈って、贈られた人が美味しいと思ってくれたら今度はその人もうちの商品をお中元として使ってくれたり。
でもそうやって広まるのは、やっぱり会津が果物作りに向いていて、本当にうまいものができるからなんだと思います。

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大好きな福島で、大好きな農業を

―――――なるほど。それでは最後に、この会津の地で今後挑戦したいことや、将来のビジョンを聞かせていただいてもいいですか?

直哉さん:
今から俺はブドウを植えるんだけど、これは俺の代から取り入れた新しい分野なので頑張って挑戦していきたいですね。
あとは農家って一生現役な仕事だし、うちの親父みたいにいつまでも「まだいいの作るぞ」とか「来年はどう変えてやろうか」っていうことを考えてギラギラしていたいと思います。

経営的なビジョンとしては、地元のお客さんも大事にしながらインターネットも使って売っていく感じでしょうか。
でも「売る」って言っても、根底にあるのは実はお金どうこうじゃなくて、食べた人がおいしいって言ってくれる機会を増やしたいってことなんですよ。
冗談抜きで、果物送ったところから「おいしい」って連絡来るのはとてつもなく嬉しいんです。ほんと笑っちゃうくらい。
インターネットでいろんなところに売りたいっていうのも、「会津のフルーツってすごいうまいじゃん!」って言葉をもらいたいから。これはきれいごとじゃなくて、本当にそれが一番やりがいを感じるところですね。

【取材後記】
和やかな雰囲気ながらも情熱的に話す皆さんの姿からは、お互いの想いを尊重しながら、全員で良いものを作りあげていこうとする仕事ぶりが伺えました。
大好きな福島で大好きな農業を続けていくために、これからも渡部さん一家の挑戦の日々は続きます。

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【名称】
フルーツの森・わたなべ

【所在地】
969-6571
福島県河沼郡会津坂下町字中村

【ホームページURL】
http://www.fsinet.or.jp/~otousan/