【夏は木陰でちょっとひと休み】 領主栗村下総守盛胤が仏教弘通の為、永禄元年(1558)に開基した。寛文3年(1663)再興し、以来現在まで護持する。境内の笈...
【木に囲まれた、ちいさな神社】 木に囲まれて、ひっそりとある神社。辺りには広大な田園風景が広がっている。
【6つの小地蔵がお出迎え…】 宥栄という僧が元和5年(1619)京都に上り、山城国醍醐松橋堯円に謁し、真言密教の奥義を学び帰郷し本寺を開創。松橋無量院の末...
【お地蔵さまに、大事な大事なわが子を…】 宥栄という僧が元和5年(1619)京都に上り、山城国醍醐松橋堯円に謁し、真言密教の奥義を学び帰郷し本寺を開創。松...
【目印は、城東稲荷神社!】 中世から近世にかけて、会津盆地のほぼ中央に位置した米沢街道の要衡であった浜崎村に築城された。「別名を藤森城と称し、濱崎主...
【さあ探そう。みつけてみよう長福寺!】 馬頭観音菩薩坐像が奉られる。福島県ではあまり作例が多くない尊像。三面三目六臂。像内背面に「貞享三年」(1686年...
【ぽつんとある、ちいさなお寺、常照寺!】 開基は不明。元和年間(1615~1624)中火災に会うが、有栄が修造し整えた浜崎遍照寺の末寺である。寺続きに薬師如...
【木の根が突き抜け、その年月をここで】 慶長の頃、僧正真が中興する。修験徳正院の司官が江戸初期まで続く。その後、長龍寺として遍照寺の末寺となった。「...
【細い道をまっすぐ進め!そこにはお寺が】 正嘉2年(1258)月堂和尚によって下樽川村に建てられた臨済宗の七堂伽藍の寺院であった。臨済宗興徳寺の末山とな...
【彼らの存在、決して忘れてはなりませぬ】 禅定寺の西方100mのところにあり、台石・塔身・笠からなり、総高70cmで、塔身は宝篋印塔の基礎部を利用しているた...
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